もるブログ(ひたすら人狼論)

人狼についてあーだこーだ書きます(主にTLPTルールとアルティメットルール中心)

人狼とパッション

三日目です。

そろそろ限界が近いですかね。でも書きます。

ブログ用のツイッターアカウントの取得までしています。意気込みだけはすごいです。

さて,今日はパッションのお話。

 

 

そもそもパッションってなんだ

人狼ゲームでプレイスタイルを語る上でよく出てくる言葉「パッション」。人によっては「パッション勢は苦手・・・・。」という方や,「ロジックにはついていけないけどパッションが武器だから!」という方などプレイスタイルの一種として使われる場面が多いでしょうか。

ただ私はパッションをプレイスタイルの一種であるとは考えてないし,ましてやロジックの対義語でもないと思っています。そもそも「パッション」が意味する範囲が広すぎるんです。

私はパッションは自分の主張や考えを伝えるための手法の一つであると考えています。

 

喜怒哀楽とパッション

 例えばこんな場面

霊媒師が三日目になっても人狼を見れていない。次,村人を吊ってしまうと負ける・・・。

霊媒師は焦りますよね?慌てますよね?語気にも焦りが生まれると思います。これも一つのパッションじゃないでしょうか。

次にこんな場面

預言者が2COの場面,真の預言者が二日目にいきなり人狼を見つける。喜びが隠せずに声を上ずらせながら黒だし。あまりの喜びように村はこの預言者を真で置いてしまう。これも間違いなくパッションですよね。

つまり,パッションとは自分の主張や結果を感情に乗せて伝えることなのではないでしょうか。そしてこれはロジックが得意とする人でも,自分の論理をパッションに乗せて伝えることもあるでしょう。要は淡々と話すか,熱を入れて話すかだけの違いなのです。

 

パッションという言葉に甘えてはいけない

極端な例を挙げます。

A「私はあなたを疑っています。ですのであなたの考えを聞きたいです。あなたは誰が人狼だと思いますか。」

B「私は人狼じゃない!!!なんで信じてくれないの!!!」

A「いやだから・・・」

という風に怒りに任せて騒ぐプレイヤーが稀にいます。後から聞いたらパッションを武器するプレイヤーだそうです。

 私はこれはパッションだとは思いません。これはただのマナーの悪いプレイヤーです。

私は人狼ゲームを「自分の考えや推理を会話などのコミニュケーションで相手に伝えるゲーム」だと考えています。上の例はコミニュケーションになっていませんし,相手に不快な気持ちを与えます。これをパッションで括られるのは他のプレイヤーに失礼です。私の身近には基本的にこういったプレイヤーいませんけどね。あくまで極端な例です。

ゲームに感情を入れこむことは私は否定しません。むしろゲームを全力で楽しんでることだと思いますし,自分の主張に感情をうまく乗せて説得してくるのは立派な技の一つだと考えています。しかし,発言に内容がなく,感情に任せて騒ぎ,相手を罵倒するのはパッションではありません。これをパッションと勘違いする一部のプレイヤーが「パッション」という言葉の価値を下げるのです。

 

でもやっぱり発言の内容は欲しいよね

最初に述べましたが,もう一回言います。パッションは自分の主張や考えを伝えるための手法の一つである。つまり,あくまで主役は自分の主張や考えなのです。パッションはあくまで脇差,主張や考えに内容がなければ票は集まります。別に論理的に話せというのではありません。自分の考えを,思ったことを話すだけでいいのです。主役はパッションではありません。

 

パッションは滲み出るものであって,当てにするものではない。

 

今日の締めに友達の言葉をそのままパクってみました。