もるブログ(ひたすら人狼論)

人狼についてあーだこーだ書きます(主にTLPTルール中心)

人狼ゲームの『パッション』と『感情』の違い

もるです
今日は三太郎人狼について書こうと思ってたんですけど、ちょっと他に書きたくなったネタができたのでそっちに逸れます。あんどーさんごめんよ!


というわけで以前も書いたような気はするのですが、改めて人狼ゲームにおける『パッション』と『感情論』の違いについて書いてみようかなと思います。 


以前パッションについて書いた記事はこちら

 人狼とパッション - もるブログ(ひたすら人狼論)

 

割りと以前に書いた記事の内容に似た感じにはなってしまうとは思います。

 

結局パッションってなんなんだ

パッションを出すのが上手い人ってやっぱりいるんですよね。私が思い付くのは、舞台に出てる人だったり、記事を書いたりする人だったり。要は『他人に「伝える事」を生業としてる人』が上手い気がします。
以前の記事で『パッションとは自分の主張や結果を感情に乗せて伝えることなのではないでしょうか』と書きました。
つまり、パッションの主目的って『伝える事』にあると思うんです。
伝える相手がいる ということが大事なんです。あくまで伝えるための手段の一つという事ですね。

 

感情を剥き出すことはパッションではない

 

しかし、相手に伝えることを忘れてしまい、剥き出しの感情を発散させてしまう人がいます。これを『パッション』としてはいけないと私は思っています。感情をただ相手にぶつけるだけのものを『パッション』という言葉で正当化してしまうのはどうかと思います。
人狼ゲームは議論のぶつけ合いですし、疑い合うゲームなので感情的になるシーンは誰であれあるとは思うんです。それは人間だからしょうがないと思うし、恐らく私も至ってない部分もあると思います。
ただそういった感情の爆発を『パッション系のプレイスタイル』としているプレイヤーは、少し冷静になってほしいと思います。人狼ゲームは詰まるところただの『ゲーム』です。怒ったり泣いたりしてまで勝ちを目指すものでなく、皆で楽しむための『ゲーム』です。
剥き出しの感情を受けとる側は少なくとも良い思いはしないはずです。人狼ゲームのプレイヤーの年齢層って割りと良い大人が多いと思うんですよね。単純な話で、良い大人が人前で感情を剥き出しにするのって恥ずかしいと思うのですよ。

 

まとめてみると

『パッション』は相手に伝えるための手法であって、感情を剥き出しにするための言い訳ではない。

Twitterのタイムラインで定期的に話題になる内容について書いてみました。

 

もる